「素晴らしい仏像を拝見できるよ~っ」ていう友人からの情報で
大山町にある「真言宗西大山教会」にお邪魔して来た。(琴宮社のすぐ近くだよ~)
お堂が開かれて仏像を拝見できるのは期間限定で
その間は、「お当番さん」が堂守りをしてくださっているのよ。
んで、私が訪問した日は超熟女のお当番さんがおふたり
そりゃあ親切にお堂の中に迎え入れてくださり
近隣の昔話しなんかを聞かせていただいちゃったのでした。
お堂に安置されている仏像の素晴らしさもさることながら
お堂の外壁に貼られていた「大山石尊不動」の伝承に目が釘付け!
以下はその写し。
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お不動様のお祭りには
石尊不動明王と書かれた、のぼり旗が立ちます。
この石尊とは何か、それには由来があります。
今から1370年前に西大山の上空に五色の雲がたなびき、その雲に見惚れていると
その雲の間から不動明王のお姿が現れたので、びっくりして見ていましたが、
そのお姿消えると同時に大きな音がし、音がした方にゆきますと
地上に穴ができ、その中央に石像が立っていました。
村人は不動明王様が地上に降りられたに違いないと思い、
その石像を持ち帰りお祀りしました。
あるとき、華厳宗の良弁と申す僧が尋ねてきて、
この石像を大山石尊不動と名付けました。
良弁は座禅し瞑想し断食していく日か過ぎたときに上からお告げがあったとのことです。
その御告とは、この石尊不動の分身を相模の国へ行ってお祭りしなさいとのことでした。
良弁は、石尊不動の一部を持って立ち去りました。
それから約50年くらいたってから
その話しを聞いた聖武天皇は天皇の勅願で大山寺を建立し
不動明王をご本尊として祭り後に高野山の末寺となり、
不動明王を奥の院に祭り大日如来をご本尊として巨刹の寺になりましたが、
明治の初めに政府の廃仏毀釈により大山寺は廃寺になり、
不動明王様はこの地へ戻り鎮座されました。
良弁僧にお告げのあった行き先は
神奈川県伊勢原市大山町で大山という山の中腹にある大山不動尊大山寺
開祖は良弁となっている。
なんと同じ名前の土地とお寺、これが本当の分身か。
お不動様はどうゆう仏か
宇宙におられる大日如来の分身または使者と言われています。
不動様は宇宙のエネルギーを左右する力を持っており、不動様は如来の命を受けて一切の悪魔や生涯を滅ぼし、人々を守護する役割をになっています。
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こころ惹かれるあまり、
図書館で大山町周辺の歴史が書かれた「わが町文化誌」を借りて
さらに大山寺について調べてみると…(以下、引用)
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大山町西大山に真言宗の名刹大山寺があった。
明治維新の廃仏毀釈によって廃寺となったが、
中世には有名な寺院であったようで各種の文書にその名がみえる。
今の西山教会には室町時代の作とされる
馬頭観音像、不動像、毘沙門天(いずれも市の指定文化財)が安置されている。
その名が書物に始めて現れるのは、元弘2年(1332)鎌倉幕府が倒れる寸前の時期である。
室町時代の大山寺にはいくつかの坊(僧の住居)があり、真言宗の名刹として信仰と研学の一中心であったことがうかがえる。
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良弁が大山石尊不動の「分身」を持ち去って祀ったという
神奈川県伊勢原市大山町の大山寺は関東三大不動のひとつ。
http://www.oyamadera.jp/01.html
そりゃあ立派なお寺で今も聖地として名高いわけだけど
浜松の大山寺跡だって
堂守りをしてくださっている地元のみなさまの心がある限りずっと聖地ですとも!